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「悪法もまた法なり」の呪縛

今でも小中学校で、ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言って毒杯をあおいで死んだという、まったく根拠のない虚構ともいうべき作り話を教えているのでしょうか。ソクラテスは何の著書も残さなかった。ソクラテスの言葉は、プラトンなど弟子たちの著作に断片的に残っているだけです。ソクラテスの「悪法もまた法なり」の出典はどこにあるのでしょうか。ご存知の方は教えてください。この日本人のほとんどが知っている、ソクラテスが言ったといわれる言葉が、日本の教科書以外どこにも書かれていない大嘘だとしたら、これこそ為政者が、自分の都合のよいように翻訳して国民の心に刷り込んだ仕掛けとも言うものではないでしょうか。出典と思われるプラトンのPhaedo(英語版)を以下に引用します。

And Crito said, "But I think, Socrates,
the sun is still on the mountains and has not yet set.
And at the same time I know also others drank it quite late,
when the word should be given to them,
they have dined and drank quite well,
and kept company with some whom they happened to desire.
But do not hurry at all;
for it is still permitted."

And Socrates said, "Naturally, Crito,
those do these things, which you say,
for they think they gain by doing them,
and I naturally shall not do these things;
for I think I would not gain anything
by drinking it a little later
other than to bring on ridicule for myself,
clinging to life and sparing it
when there is nothing still in it.
"But come," he said, "obey and do not do otherwise."

この"obey and do not do otherwise"を「悪法もまた法なり」と訳すのは、極端な意訳でしょう。弟子たちが脱獄あるいは、毒を飲むのを遅らそうと勧めているという全体の文脈からみて、「自分の哲学に殉じて死を選ぼう」というほどの意味ではないでしょうか。これについては、ウィキペディアの解説が適切と思われますのでここに引用します。

『神事の忌みによる猶予の間にクリトン・プラトンらによって逃亡・亡命も勧められ、またソクラテスに同情する者の多かった牢番も彼がいつでも逃げられるよう鉄格子の鍵を開けていたがこれを拒否。当時は死刑を命じられても牢番にわずかな額を握らせるだけで脱獄可能だったが、自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、票決に反して亡命するという不正をおこなうよりも、死を恐れずに殉ずる道を選んだ。』

ソクラテスは、決して「悪法もまた法なり」などと、形而下的なことは言っていません。自身の哲学に殉じたのです。それを、ソクラテスが言ったとして教科書に載せ、子供のころから脳みそに繰り返して刷り込まれるので、『「悪法である」と個人的に感じる法令があっても、それが施行されている限り、遵守しなければなりません。』と言う言葉が鸚鵡返しに出るほど、この「悪法もまた法なり」は為政者にとって大成功でした。日本国民はこれによって完全に去勢され、著名な学者あるいは法曹関係者までが、「ソクラテスが」、「ソクラテスが」と言う始末です。これが日本に限ると思われるのは、欧米では、ソクラテスが「悪法もまた法なり」と言ったなどという教育は行われていません(言っていないのですから)。逆に、欧米では、法実証主義の一般的見解である「悪法もまた法である。しかし、法だからといって従う義務はない/従うべきではない」を教えるほうが一般的です(と思う)。ご存知の方がいましたらコメント下さい。

国籍法12条のようなまったく悪法としか言いようのない悪法が、数十年も改正されることなく存続し、数十万(実数不明)の日本人の国籍を剥奪し続けることができたのも、この、日本人の脳みそに刷り込まれた「悪法もまた法なり」の呪縛ともいえるのではないでしょうか。

2009年が終わろうとしています。我々、国籍法12条撤廃連絡協議会ならびに国籍法12条被害者の会は、2010年には国籍法12条の撤廃を実現し我々の子弟だけでなく多くの被害者の国籍の回復を実現しようとの固い決意でいます。皆様の支援がこれを可能にしますので、よろしくお願いいたします。

良い年をお迎え下さい。

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コメント 2

高市和久

お説におおいに意を強くしました。ただ、末尾に近い部分を引いておられましたが、むしろ次の部分が「悪法もまた法なり」にいくらか近いかと思います。

だが、〔僕がこの牢獄に座っている〕本当の原因とは〔腱や骨の動きなどではなく〕次のことである。アテナイ人たちが僕に有罪の判決をくだすことをより善いと思ったこと、それ故に僕もまたここに座っているのをより善いと思ったこと、そして、かれらがどんな刑罰を命ずるにせよ留まってそれを受けるのがより正しいと思ったこと、このことなのである。なぜなら、誓って言うが、もしも僕が、国の命ずる刑罰ならばどんなものでも受けることの方が逃亡したり脱走したりすることよりもより正しくより美しい、と考えなかったとしたならば、こんな腱や骨などは、思うに、最善についての判断に運ばれて、とうの昔にメガラかボイオティアあたりに行っていたことだろうからね。(岩田靖夫訳岩波文庫版, 98E~99. 〔 〕内は高市)

霊魂は身体よりも重要であり、霊魂が身体を離れてあの世に行くことを少しも悲しむ必要はないと主張する『パイドン』の中で、理性が身体を制御している一例として、自分が牢獄にとどまっているのも理性を用いて決めたことだと言っただけで、「脱走するよりは刑罰を受けたほうがよい」という判断の理由はそれ以上説明されていません。ここから「悪法もまた法なり」というテーゼを引き出すとは驚くべきつまみ食いと言うほかありませんね。こういう大うそつきが道徳の教科書を書いていると思うと笑ってしまいます。
by 高市和久 (2013-08-18 16:50) 

竹松明徳

クリトンからと、悪法も法なりを聞きました

憲法を軽視する政権には習った方がいないかな
by 竹松明徳 (2015-11-27 05:49) 

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